公開: 2024年6月2日
更新: 2024年6月2日
第2次世界大戦後に日本を統治していた連合国軍司令部にとっては、日本を非軍事化し、二度と戦争を起こさない国にすることが最大の命題でした。日本に再軍備を許せば、将来、再び、連合国に対して反旗を翻し、世界的な戦争を引き起こす可能性があると考えられたからです。日本の再軍備を防ぎ、天皇の支配の下に、国民が集結して、戦いを挑むことがないようにするためには、日本社会をも民主化する以外にないと、米国の研究者たちは考えました。
日本社会の民主化のためには、日本の国民に主権を移し、国民が主体となって、国会を運営する議会を作ることが、民主主義への近道だと、米国から来た研究者たちは考えていたのです。しかし、ポツダム宣言を受け入れた日本のリーダーたちは、ポツダム宣言には、大日本帝国憲法を無効として、新憲法を制定することまでを条件としていることを理解していませんでした。新憲法の制定が重要であることは、リーダーたちも理解していましたが、天皇の主権までもが、否定されることは予想していませんでした。
このような背景から、日本政府によって作成された憲法草案には、国家の主権を国民に移し、日本社会を民主化する構想は、全く考慮されていませんでした。このことを知った占領軍のマッカーサー司令官は、占領軍総司令部で草案を作成し、日本側にその草案に基づいて、新憲法を作成することを命じました。このマッカーサーの命令が、新しい日本国憲法の大枠を決め、その枠組みの中で、具体的な文案の調整が行われることになりました。この草案に盛り込まれていたのが、主権在民、戦争放棄、封建的な制度の廃止でした。
終戦後の財閥解体は、主に戦争放棄のためであり、農地解放は、封建制度の廃止のため、選挙権の拡大と象徴天皇の導入は、主権在民の実現のためでした。これらを盛り込んだ新憲法の発布により、日本の民主化は、世界に印象付けられました。
「日本国憲法の制定過程」に関する資料衆議院資料